最新の記事
以前の記事
2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 more... カテゴリ
全体 ●日日庵 ●新住協札幌 ●eベクトル/現在位置はどこ? ●e旅・街巡り/都市・建築 ●いえのえほん/その覚書 ●エンターティメント/感動感激 ●医学・医療/健康第一 ●トヨエモン/どこから来たのか ●しごと/プロであること 最新のコメント
最新のトラックバック
タグ
Nubis
日日庵
新住協
岩見沢プロジェクト
北海道新聞
島紀行
いえのえほん施工篇
大人の工作
結ホール
三笠プロジェクト
三笠ふれんず
トルコ紀行
スリランカ
鎌田紀彦
建築家シリーズ
そば農園
いえのえほん
TKBストリート
川俣正
九間/ここのま
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2015年 03月 24日
南太平洋の離島でゆっくりしてきたつもりだけど、帰国してすぐ仕事の現実に切り替えるのは、ストレスだ。そこはやはり日本の空気に馴染むための時間が必要になる。
たいてい温泉付きホテルに後泊することになる。 ![]() 成熟都市東京、客室はトコトン切り詰めた広さ、一応は温泉 ![]() ![]() ![]() ![]() 荷物を預けて、上野を回って遅い昼食 ![]() 向かいに幼い子供を連れた昔からの常連、高齢者がいる。まず我々もソバ味噌と板山葵を肴にお酒、1本空けて、大盛りを注文。やはり東京の老舗そば屋さん、蕎麦もつゆも上品だ。 野趣溢れる日日庵の縄文スタイルとは大きく違うね。 ![]() 満足して夕方ホテルに戻り、温泉に入って早々にベッドイン * * * 翌日は歌舞伎座、築地本願寺、築地場外市場の3点セット、遠い方から回る。 ![]() とにかく多い外国人 ![]() 札幌進出なった「すしざんまい」、何店舗あった中、確か2号店、6カンほどカウンターで注文して、1200ほど。安くて美味い。 ![]() ウヴェアのムリ教会で聞いたミサより、やはりぼくにはしっくりきた。 ![]() ![]() たまたま、彼の最近著書『僕の場所』を旅行前から読んでいた。同じ年の同世代、若いときからメディアを通じて、気に掛かる人であった。きのうベッドの中で、読了。 目立つ人間(建築家)はおうおうにして誤解されやすいけど、久しぶりにおもしろい建築本だった。 ▲
by take2zeronine
| 2015-03-24 09:33
| ●e旅・街巡り/都市・建築
2015年 03月 17日
▲
by take2zeronine
| 2015-03-17 11:28
| ●e旅・街巡り/都市・建築
2015年 02月 08日
![]() 年末に買い込んだ何冊かの中に、まだ読み切ってない『地球の細道』があって、最近はベッドの中で『挽歌集』(磯崎新)と取っ替えひっかえ読んでいる。 どちらも立派なハードカバーだけど、横になりながら読むスタイルが確立した。また2〜3ページでどちらも話が完結する編集だから、ベッドの中ではちょうど良い。 国内海外を問わず、このひとのフラットな目線が実にいい。感情に素直なのだ。 だからだろう、こんなくだりがある。「・・・自己陶酔的な(このあたり、どこか建築家と共通するものを感じるが)・・・」と、建築や建築家に詳しいところがあって、随所にそれに言及するくだりは、鋭くてまた共感を覚える。 そもそもこの本は、GA(A.D.A.EDITA Tokyo)に連載していたモノをまとめたものなのだ。逆に、だから連載を依頼されたということなんだろうと思う。 またこんなくだりもある。「ぼくが芸術を嫌うのは作者がやたらと自分を主張するところにある。イラストレーターになったのも、そういう気持ちが子供の頃からすでにあったからかもしれない。ちなみに子供の頃から絵を描くことが大好きだったが、画家を志したことは一度もない。」と、かっこいい。 『挽歌集』で磯崎新が自分のことを、やたら建築家(やっと自らそう言える境地になったのかもしれないけど)と連発しているけど、少し鼻につく。 自他共に認められる人たちで、そうゆう地位になった人にあこがれる部分が、我々にはどうしてもあるからなのか・・ ただいま、92話中「20/木地師の話。木地山系のこけしのこと」まで読み進んだ。 2014年3月に死んじゃったようだけど(1942東京生まれ)、安西水丸さん(スノードームコレクター)、なかなかいいですよ・・・ ▲
by take2zeronine
| 2015-02-08 06:54
| ●エンターティメント/感動感激
2015年 01月 26日
江別市民、Yケンから遊ぼうか、とTEL.が入って誘われる。
彼の庭である野幌森林公園をスキーで歩こうという。いいね、こうゆう遊び、健康的で、ぼくたち中高年にはぴったりだ。ちょうどきのう東京の三笠ふれんずHが帰ってきたのに合わせて会員数人が集まって、三船の焼き鳥、鶏鍋おじやを食べ過ぎていたところだったので、カロリー消費といい汗がかけそうだと二つ返事で応えていた。その後は南幌温泉(竹下登ふるさと創世1億円成功事例/実はぼくは初めて、良いお湯でとても賑わっていた)に行くという。 ベストセレクション・・ ![]() ![]() ![]() まず「自然ふれあい交流館」(設計/中井仁美/2001年)を見学。この形を見てズントーを連想してしまう。みんなが1度は発想する形なんだろうね。それにしても施工の完成度は高い。 ![]() ![]() ![]() 外を眺めるYケン、何を思う・・ じゃあ、建物見学も終えて快晴の中、原生林のスキー散策に出発です。 ![]() この赤で囲んだ部分・・ ![]() 桂コース1.7+四季美コース1.9+エゾユズリハコース1.2キロです。 まあこの程度なら歩いて1時間ちょっとだから、スキーでも同じくらいかなとスタート、11時41分。 ![]() ![]() 覗かせてもらうと確かにおりました。 ![]() さらにワックスも常備していて、しばらく放っておいて雪がねっぱり付くぼくのスキー板のを滑りを調整してくれる。 ![]() ![]() それにしても暖かく大変天気もいい。やるべきことをやっておくとこれだものね・・ ![]() ![]() たまたま親父の植えてカラマツやトドマツの森林を30年ほど管理してきたせいか、はたまたDNAなのか、ぼくも年とともに「ごく普通」の自然に魅せられてきたのは間違いないし、森林の気持ち良さを好むと好まざるとにかかわらず、実感してきた。 それに身体を動かして汗をかく気持ちよさが重なる。 そうか、これがあったんだ。岩見沢にも利根別原生林が日日庵の庭先にあるじゃないか。 以前、K田のおじさんの仲間たちと年に1度、春の残雪の中をスキーで山歩きしたときの楽しさも蘇ってきたりして、ちょっと探索してみようじゃないの、となった。 いま自宅から九間に移動して、これを書いている。きょうも快晴で大寒を過ぎた日差しは強く室内に差し込んでくる。 さっそく思い立って、利根別原生林の大正池からの入り口に行ってみてきた。10台近くの車が駐車していて、スキーやスノーシューで歩いて入っていく人たちが、やはりいるのだ。 じゃあ、ぼくもお試しでちょっと挑戦だ。スキーとリュックを持って出直しだ。 < つづく > ▲
by take2zeronine
| 2015-01-26 03:40
| ●eベクトル/現在位置はどこ?
2015年 01月 23日
年末年始にかけて、本を立て続けに買っている。本屋さんだったり、そこでパラパラ立ち読みして、中古本で安かったらネットで買ったり・・そのうちキンドルも、持ち主の話がみな肯定的なので、買おうかなと思い始めている。
フィクションは少なくて、建築関係が多かったりしている。その中で久しぶりに磯崎新。 彼の文体は面倒くさくて読みづらいから、安易に買わないようにしていたんだけど、それこそ紀伊國屋書店で確認してから、ネットで新刊を購入した。 『挽歌集』20世紀、友人たち、建築への追悼、と帯にある。目次で数えてみると、53人の友人知人に宛てた追悼文集だ。 その中に神代雄一郎もいる。ぼくが学生の時の建築学科長だ。 建築史の授業で「九間」に言及された先生の話は、いまだに鮮明に記憶に残っている。その授業からすっかりぼくは彼にシンパシーを抱くようになってしまった。 新宿西口副都心の再開発で、高層ビルが建ち始めているときでもあった。そのことに批判的な彼の文章を、偶然建築雑誌で目にしたりした。心情はとても同感できるものだった。なにしろ神代シンパだったからね。その後圧倒的反論を浴びてしまうことになるのだけど、あの穏やかな先生は沈黙してしまう。 建築の授業の中になぜか裸婦をデッサンする時間があった。 学科長だから全く関係ないわけではないけど、彼もぼくたち学生に混じって一緒にデッサンに参加していた。 たまたま隣同士になってお互いの出来を覗き見しながら、その時間を共有した。ぼくのデッサンを褒めてくれたせいもあるけど、神代シンパはさらに強固になっていた。 三日三晩72時間一睡もせずに、北海寮の図書室にS木とふたり閉じこもって仕上げた。 学科長の先生の講評は、「おもしろいね」という一言だった。けっこうその一言をいいように解釈して、気をよくしていた。 そんなわずかな接点が、ぼくと神代雄一郎との、学生と先生との関係だった。挽歌集の中でも、もちろん九間が出てくる。九間論だ。 SD選書『間(ま)・日本建築の意匠』もネット買い、この中で彼は九間論を展開しているのだ。 日本建築は柱を同じピッチで建てながら、その中に空間(部屋)を造っていく。 ![]() こんなイメージだ この場合の「間」はあくまで「ま」と読む。「けん」ではない。「けん」はこの後になってできる長さの単位、6尺の長さに落ち着く。 「ま」はあくまで広さの単位で、この概念が発生した時点では、柱の間隔は適当なもので、決まったものではなかった。 その地方地方あるいは建物個別のもので、決まっていなかった。単に柱に囲まれた「ま」であった。その流れは京間であったり関東間であったりの今の流れなり、タタミの寸法が家ごと部屋ごとでまちまちだったり、帖数を表す部屋の広さが同じ6帖とかでも正確な広さが異なっていたりすることにつながってきているともいえる。 九間はその「ま」が九つ分、柱の間隔が1間(けん/長さ)=6尺(1818ミリ)の時、九坪という現在使われている広さになる。この九間は、建築史上、寺社仏閣武家民家など様々なところに頻繁に登場してくる。それだけ人間的広さの空間だ。 ぼくも実際にその広さに身を置いてみて、そう同感できる。ちょうどいいのだ。 ps 九間を検索していたら、こんなサイトが出てきて、神代雄一郎を語っている。 ▲
by take2zeronine
| 2015-01-23 11:45
| ●いえのえほん/その覚書
2015年 01月 10日
![]() 1月10日土曜日、休日。 正月に弟夫婦が泊まっていって以来の「九間/ここのま」、早朝から行って薪ストーブを燃やす。 暖房しないで放っておくと(昨夜はマイナス5℃以下に下がっている)、5℃ほどまで室温は下がっている。 すんなり火がついて燃えだしてから、ストーブ前の回転安楽椅子(民芸木工特注)での微妙なポジションを模索する。 決まった・・ まず障子の衝立は、ひとりなら必要ないので西側デスク横に片付ける。ベッドバリエーションは、正月からの東ダブルバージョンのまま、ストーブとの間にはちょうど7尺(2120ミリ)ほどのスペースが開いて、今まで気がつかなかった気持ちのよい開放的な空間ができる。 自ら固定してしまった感覚を解放すると、ガラリと変わった印象を持つことになるという、いかに人間の体感っていうのが奥が深いか、知ることになる。 そこで限りなく椅子を北東に寄せて、椅子からの視界とストーブの位置関係を気にしながらポジションを確定する。 ![]() 1時間ほどで室温は、20℃を超え、来てすぐに入れたコーヒーをビールの後にゆっくりと飲む。火に当たりながら、九坪の空間の身の置き場所が、なんとなく見えてきた気がする。 つまり九坪の中で、一坪の水回り以外はすべて可動可能で固定化せず(ミースのユニバーサルスペースのように)、いろいろ試した中でのひとつの解答ではあると思う。 また、日本の茶の間のような多目的な空間の中での、現代化した生活(ベッド、机に椅子テーブル、シャワーにウォッシュレット)における解答ともいえる。 今ストーブと対角線上(南西角)に移動した再生ブビンガテーブルの上で、古いPowerBookG4を持ち込んで、このブログを書いている。 ![]() ![]() * * * 正月に長女が録画していってくれたNHK番組「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」を、母宅で見終わってきた。 率直に面白かった。建築に関わっている人から全くの建築の素人にも、戦後日本建築史の教科書的番組になっていると思う。ナビゲーターの若手建築家藤村龍至(ふじむらりゅうじ)の起用も良かった。 戦後の建築家たちとその時代背景、ぼくの人生とも見事にリンクして、改めて再確認し勉強になることがたくさんあった。 そのひとつ、メタボリスト黒川紀章の中銀カプセルタワーからカプセルホテルへの進化(ぼくの東京での定宿は、コストパフォーマンスのいいカプセルホテルが好きで、よく利用することが多い)。 ぼくもそこからヒントを得て、親父の隠れ家 / 7.5cubeからカプセル長屋、発展して「オートロックアパートメント・キューブ」を模索中だったから、その確信を深めることができた。 とはいうものの、ひとつのチンタイユニットが三つの7尺cubeからなる広さ(10㎡ほど)に、まだ手応えを掴みきれていない。K不動産からもお墨付きをもらったにもかかわらずだ。 一つはベッドと多目的カウンターからなるメインcube、二つ目はトイレ洗面シャワーボックス洗濯機スペースからなる水回りcube、そしてクロゼット兼用のエントランスcube・・(7.5cubeからの進化形、キッチンはなく洗面流しがその役割をする) やはり実大モデルルームをK不動産となりの空きスペースに造って、一般ユーザーの反応をリサーチしてみる必要があるかもしれない。 これはこれで新たな試みとして、期待してもいいと思う。 * * * 前置きがずいぶんと長くなったけど、きのう金曜日の道新「各自核論」、「路地裏の資本主義11」で平川克美が、安倍政権が勝ったわけを書いている。 共同通信の先の衆院戦後の電話調査結果 ・改憲賛成か yes35.6/ no50.6 ・安全保障政策支持か yes33.6/ no55.1 ・アベノミクスで景気がよくなるか yes27.3/ no62.8 なのに内閣支持率 yes46.9/ no45.3 そして結果は自公で3分の2以上、つまり民意は各論においては、安倍政権に反対、総論においては五分五分で、小選挙区選挙では圧勝を与えたのだと。 「着物の下に鎧が見えている」安倍政権、本当の争点はその鎧だったが、そこを争点に炙りだしても受け皿がないことを知って、とりあえずはやり過ごし、混乱を避けるという選択を有権者はしたのだと。ただ沖縄県だけは、自らの問題として、着物の下の鎧を争点として、明確な意思表示を行った。 結果は有権者の感じた通り、選挙後もほとんど変わらない構成になった。でもこの選挙で有権者は何も選択せず、どんなシグナルも政権党に送らなかったのかといえば、そうではない。 当然だが安倍首相は結果に胸を張る、がしかしそのシグナルはこうだ。 選挙民は安倍政権に信任を与えたわけではなく、鎧は駄目だが、鎧を覆い隠している着物のほうは、もう少し経過観察してもいいかという程度の許諾を与えただけなのだと。 なるほど、いつも民意というやつに不思議な違和感を抱いてモヤモヤしていたけど、こうして解説されるとわからなくもない。 一番しっくりと、腑に落ちる話のように感じられたのです。 ▲
by take2zeronine
| 2015-01-10 19:00
| ●eベクトル/現在位置はどこ?
2014年 12月 17日
きのう、もう夜の事務所の中で、今日が数年に1度の悪天候になるとの話で持ちきりになった。
ぼくが東京行きの日だというと、それ欠航ですよとK部長に脅される。 8時発エアドゥ12便を特典航空券(千歳ー羽田往復、800×2=1600ポイント)で予約していたので、早朝に起床する。まず、まだ真っ暗な外の気配を伺う。どうやら予報は外れて平穏な様子。 簡単な旅支度を済ませて、母宅で定番納豆の朝飯を食べて千歳に向かう。暖気でツルツルになった道路で時間がかかり、民間駐車場(予約なし、¥600/日)に車をおいて空港に着いたのは7時半頃だったか。 初めての特典航空券の搭乗手続きはすんなり終わって、要望のあったお土産を買って、2番ゲートに向かう。嵐の前の静けさか千歳は快晴、今のうちに飛び立ってしまうといいのに、と心でつぶやく。 無事機内に入って8Eの席について、12便は滑走路へ向かって動き出すも、離陸スタンバイの体勢になってから、さっぱり飛び立つ気配がない。あれ〜っ、もう定刻は過ぎてしまっている。 そのうち機内放送が入って、滑走路の除雪作業に手間取っているのと、横風が規定を超えた強さなので様子をみていると機長の説明が入る。え〜っ、どう見ても外は、無風状態快晴に見えるんですけど・・ 1時間半近く機内で待機するのは初めての体験で、外を見ると滑走路面はバリバリツルツルの凍った状態で、きっとコレが離陸できない原因のように思える。 ![]() 飛び立って戻ってくるよりマシかも知れない。 ![]() それでチェックインカウンターで払い戻しと変更便の手続きをするというので、行ってみる。 どひゃあ〜、ものすごい行列だ。最後尾まで行ってみるとエアドゥカウンターからターミナルビルの端までつながっている。歩測してみたけど、おそらく100メートルはあると思う。 ![]() あわててもしょうがないので、4階の映画館に行ってみる。12:45からの『ゴーン・ガール』がなんとなく面白そうだったので、シニア割引¥1,000で見ることにする。 見終わる頃には、出発状況も落ち着いているだろう。 映画が始まってわかった、ゴーン・ガールとは、GONE GIRLの読み。 お客さんは10名ほどで、ガラガラ、足を投げ出してゆったり見れたけど、楽な体勢になりすぎると、眠ってしまうから、気をつけないと・・ 久しぶりに映画館に入ったけど(年に数本も見ない)、後半に入って、ぐっと展開が変わって、引きつけられた。飛び込みで見た割りには、面白かった方だと思う。 3時半頃か、映画が終わって出てきて、出発の案内ボードを見てみる。16時東京行きが、搭乗手続き中とある。なんだ、やはり再開している。 ちょっと未練を感じつつ、すっぱり諦めて自宅に引き返すことにする。 駐車場代が1日分¥600返ってくるというから、有り難い。 ところで今回の東京行きの目的は、目白押しだった建築の展覧会の1泊見学ツアーでした。 ・磯崎新/ワタリュウム ・原広司/市原湖畔美術館 ・菊竹清訓/近現代建築資料館 ・ザハハディド/東京オペラシティ ・伊東豊雄/TOTO間 というラインアップ、面白そうでしょ、コレに現代美術の赤瀬川源平/千葉美術館も加えてしまおうという欲張りなもの。 期日は年内というものが多く、いやあ残念でした・・ ▲
by take2zeronine
| 2014-12-17 20:55
| ●エンターティメント/感動感激
2014年 11月 18日
1994年、釧路芸術館のコンペがあった。
![]() その水盤に半分突き出たガラス張りの楕円のホール棟 ![]() ![]() 外周に巡るモビールは、新宮晋。この時はまだ、川俣正との交流はなかった。 ![]() ![]() ![]() スロープのブリッジが巡る ![]() 谷口吉生の土門拳美術館をかなり意識している 今から20年も前のぼくの建築的アイディアが、何に影響を受けて何を想っていたか、よくわかる。 ほとんどが安易な引用で自分の中で消化し切れていない。ただ今なら、このアイディアを消化しきった形で、実現出来そうな気もする。 これは、道内の名だたる設計事務所130社が応募する、道内では注目のコンペだった。その中で当案は、1次審査はクリアした。 実施案になったのは、象設計集団のものだった。 ▲
by take2zeronine
| 2014-11-18 19:06
| ●いえのえほん/その覚書
2014年 11月 16日
久しぶりに時間が空いたので、岩見沢喜久屋書店に行った。入ると松野市長がブラブラしているところに出くわす。こんにちわ、と軽く挨拶して、いつもの新書コーナーに向かう。その後建築のコーナーに。
紀伊國屋やジュンク堂から比べると、比較にならないくらいの少ない建築本を、ここで立ち読みするのがけっこう好きだ。椅子も置いてあるし・・ そんな状態を引きずっていたので、知的好奇心がうずいて、戻ってからもパソコンで検索していたら、新国立競技場問題のこんな記事に出くわす。 建築界の知の巨匠かも知れない、御大磯崎新がついに意見を報道各社に配信したという。11月5日だったというから、10日以上経過している。知らなかった・・ やはりこの人、頭がいいし実作の経験も豊富で、さすがに説得力あること述べている。 建築以外の著名人まで巻き込んで、喧々諤々、このままいったら、どうにもならない袋小路に入り込んでしまって、巨額の税金が消化不良のまま使われてしまいそうな気配、彼らしい妙案であるといえる。 でも、どこまでこれが受け入れられるかはわからない。 ▲
by take2zeronine
| 2014-11-16 21:07
| ●e旅・街巡り/都市・建築
2014年 11月 06日
![]() 小径木(末口で120ミリ未満はチップに)のものは、長さ2100に玉切りして、出入り口の枠を想定した厚さ(40ミリ)に挽いて桟積み(時間をかけた自然乾燥)してある。 その置き場所がヴォリュームもあって、朝日を浴びて美しかった。まさにピーター・ズントー(スイス)の木の仕上げのコンセプトを彷彿とさせる。 面の付いたあるがままの風合いと時間の経過が、カンナ掛けされて塗装を施された表情とは、真逆の世界だ・・ ![]() ![]() 断面を見るとこれも小径木を利用しているのかな ![]() ![]() ▲
by take2zeronine
| 2014-11-06 14:40
| ●トヨエモン/どこから来たのか
|
ファン申請 |
||