最新の記事
以前の記事
2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 more... カテゴリ
全体 ●日日庵 ●新住協札幌 ●eベクトル/現在位置はどこ? ●e旅・街巡り/都市・建築 ●いえのえほん/その覚書 ●エンターティメント/感動感激 ●医学・医療/健康第一 ●トヨエモン/どこから来たのか ●しごと/プロであること 最新のコメント
最新のトラックバック
タグ
Nubis
そば農園
大人の工作
北海道新聞
結ホール
TKBストリート
トルコ紀行
鎌田紀彦
川俣正
九間/ここのま
スリランカ
日日庵
いえのえほん施工篇
いえのえほん
島紀行
新住協
岩見沢プロジェクト
三笠ふれんず
三笠プロジェクト
建築家シリーズ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
1 2018年 03月 22日
1919年(父豊種は1918年生まれ)ドイツワイマールにバウハウスが設立される。
初代校長はグロピウス、三代目が確かミース、どちらもナチス台頭のドイツを逃れてアメリカに渡った。アメリカの巨大な資本、生産力には彼らを受け入れる土壌があった。次々と新しいコンセプトに基づく近現代の建築プロジェクトが実現されていく。 そのバウハウスの精神に感化されて、1954年日本でもと桑沢洋子が開いた学校が『桑沢デザイン研究所』だ。 大学を出たあと2年間、ぼくも夜の部に通った。クラスには仕事を終えてきた仲間が、再び建築を学び直そうと刺激を求めて、何人かやってきていた。 当時建築部門を仕切っていたのは、清家清(グロピウスの事務所に彼は1年間招かれている)。実働部隊の事務所『デザインシステム』には、桑沢出身者が何人か出入りしていた。 その後清家清は1991年、札幌高専に初代校長として招かれる。教授陣は彼の教え子たちでぼくも知った人たちだった。 当社で卒業生を何人か採用することになったのは、そんな縁からだった。 という桑沢時代の友人が何人かいて、その中の1人 Y I がこの時期になると毎年北海道に、仕事絡みでやって来る。 離れのゲストルーム(九間/ここのま)に泊まってもらって、二日間付き合った。TKBストリートモデルも案内した。 桑沢で学んだインテリアデザインを強く意識して設計していたので、彼の感想は「変わらないね」という一言に集約されて言い当てられていた。 若い感受性の鋭いときに受けた影響は、簡単に変えられるものではないということか・・ マッサンは石炭で蒸留する方法を選んだ。 海外炭らしいけど、ちょうどくべるタイミングに出くわす。機関車みたいに燃やしている・・ CASK54度¥1,000/杯、ストレートで飲んだあと水を飲む。喉から食道にかけて残っているウイスキーが、流れてきた水でいい感じの水割りになって流れ込んでいく。 からだ全体で感じる飲み心地が快感だった。 このあと無料試飲所で飲んだものは、違いすぎてとてもストレートでは飲めなかった。(ハイボールでね) 酒通でないぼくでさえ歴然としたものがわかった。 ▲
by take2zeronine
| 2018-03-22 09:14
| ●eベクトル/現在位置はどこ?
1 |
ファン申請 |
||