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全体 ●日日庵 ●新住協札幌 ●eベクトル/現在位置はどこ? ●e旅・街巡り/都市・建築 ●いえのえほん/その覚書 ●エンターティメント/感動感激 ●医学・医療/健康第一 ●トヨエモン/どこから来たのか ●しごと/プロであること 最新のコメント
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2013年 11月 30日
四国には何度か行っているのに、高知は未踏の県だった。そしてそこには内藤廣の牧野富太郎植物園&記念館があって、行ってみたかった。彼の建築はやはり『海の博物館』が鮮烈な印象で、以降建築見学のお気に入りのひとつになっていた。彼の建築には造りあげる過程のエネルギーが溢れていて、なんとも魅力的なのだ。
この建築の竣工は1999年で14年経過している。これがよかった。アプローチから庭に至るまで、ロケーションの草木に溶け込んでいる自然な姿が、とても好印象なのだ。 彼の意図したことが、時の経過と共にどんどん熟成されてきている。もちろん植物の世話をしているスタッフの努力だろうけど、牧野富太郎は満足しているだろうと思った。 五台山のこの有り様を見たら、Nubis(ヌービス)日日庵の520坪もこんな風にできたら理想だと思った。全ての草木1本1本に、そこにある存在理由があるように思えたからだ。 ![]() 岡山空港からレンタカー(26〜28日三日間で¥8,500/ビッツクラス)瀬戸大橋を渡って四国に入り、高知四万十川まで往復する(約570㎞/岩見沢-釧路600㎞)という3泊中二日という旅程、料金は高いけど(瀬戸内海を渡るから)高速道路はやはり便利である。 牧野富太郎(ランチ)〜坂本龍馬〜四万十川沈下橋(ランチ)〜瀬戸内海与島SA(夕飯) ![]() 沖縄のサンゴの塀を思わせる ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 開口部納まりは、当社木組みカーテンウォールの方がいい ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 180メートルほどあるが、長さを感じさせず歩きごたえが充分ある < その2へ > ▲
by take2zeronine
| 2013-11-30 13:48
| ●e旅・街巡り/都市・建築
2013年 11月 25日
何回か言及している「同級生シリーズ」に、内科クリニック『中央医院』の M I も含まれる。
ぼくの親父も彼の父親が院長のクリニックを請け負っているから、親子二代の長い付き合いになる。 M I はさらに三笠ふれんずの会員でもある。 住宅は1990年の竣工だから、今年で23年目である。2011年には大改修もやっている。その改修で3階が仮住まい可能になったので、懸案だった2階の床の改修が実現した。念願のペット用の特殊ワックス仕上げのフローリングと壁天井のクロスの張り替えである。 こんなぐあいに、住まいも生活スタイルの変化に合わせリニューアルが必要で、いわゆる長いお付き合い、よく知った仲だからよりやりやすいと云うことでもある。 身体も同じで、ぼくの場合は逆に、彼が長い付き合いの主治医ということになる。岩見沢在住の同級生は、女子以外ほぼみんな、彼のところに通っている。名医かどうかは分からないけど、あの繁盛ぶりをみると高齢者には人気があるようだ(88才のぼくの母も)。気安くて安心感のある対応が、ぼくたちが通う理由かも知れない。 ぼくが医学のありがたさを思い知ったのも彼のクリニックであった。暮れも押し迫ってインフルエンザに罹患し、ひとりベッドでウンウンうなっていた時に、休みにもかかわらず打ってくれた点滴で一挙に快方に向かったあの生き返ったような開放感は、いまだに強烈な印象を身体に残している。 まさか自分が設計した病室のベッドで横になっている姿は、想像していなかった。 それ以来、冬到来の時期に必ずインフルエンザの予防接種をすることにしている。一度だけD小児科(当時改築中)でお世話になった以外は、毎年中央医院でやってもらっている。 2階住宅の改修の様子を見がてら、隣のクリニックに寄って打ってもらった。今日のはけっこう痛かったね。 そのとき M I に「今年は何型用なの?」と血圧測定の後尋ねると「ずいぶんマニアック(そうかな)だね」と答えて渡された紙片がこれ。 ![]() M I 曰く、これは世界共通で、かなり早い時期から今年はこれでいきましょうと、検討会議で決定され大量製造されるとのことです。 ![]() ![]() ▲
by take2zeronine
| 2013-11-25 17:52
| ●医学・医療/健康第一
2013年 11月 24日
11月9、10日の土日連休に続いて、セルフビルドの2回目だ。天気は小雨だけど作業に支障なし。
前回は丸太位置を固定して、6本の柱を建てきった。今回はその柱に、板を横に流して耐力壁にする。板は主にトヨエモン2004ヴンテージ、乾燥バッチリ、目の詰んだ良材だ。 地面とはヒバの杭で固定してるので、貫材と胴縁材で上部をまず固めていく。その後トヨエモンを張っていくと、2階への階段入り口を囲むような、コの字型の強固な囲いが出来上がった。 23日は10時から始めて1時間昼休み、終了は4時で5時間の作業だった。丸鋸電ドルの工具のおかげもあるけど、ぼく自身の腕も上がったものである。 翌24日も5時間ほどの作業になった。 前日ほとんど終わっていたつもりだったけど、フィニッシュワーク細々、通路のやり替え、階段室入り口に屋根、残材片付け、道具の片付けなどで、気がつくと4時になろうとしていた。 最後に写真を撮って終了、さて大相撲千秋楽だ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ガラスのヒバ押えバーを残して、外部は完了、一応これで越冬しようと思っています。 内部は、来週から生涯現役のN&Hのふたりの大工が入ってくれるようです。どうやら内部もいいところまでいきそうですね・・・ ▲
by take2zeronine
| 2013-11-24 16:44
| ●いえのえほん/その覚書
2013年 11月 22日
信金日の出支店では、地域の知り合いにロビーでよく顔をあわす。
きょうはスーパーハルキの社長夫人、K子ちゃん(ふれんず会員)。会員と見ればグッズを売ることにしているので、川俣グッズ見てみて、どう?って売り込むと買ってくれると言う。慌てて車からグッズを取ってきて、ロビーで店開き。 日の出支店も会員なので、去年の支店長を例に出して、今の支店長にも売り込むと、いいよという。 有難い、やっぱりふれんず会員。どちらも大きいエコバッグ二つに、大きいベニヤバッジ購入してくれるといって、¥6,000づつのお買い上げになった。 どこで出会いがあってどんな展開になるか、世の中本当にわからない。 いつもロビーで誰かに会う度に思うけど、空知信金日の出支店のロビーは、ぼくにとってはサロンです。つまり地域に密着した金融機関の、こうゆうユーザーサービスの役割もあっていいと思う。 出入りするお客さん同士が顔見知りで、ちょっと会話に花が咲く。そのうち今日はこんな用事でここに来たんだけど、とかで思わぬところから新しいビジネス、新しい融資の話に発展していく。こんな金融機関のしかもこんな地域に密着した話って、とてもいいことじゃないですか、とは余談ですが・・ ところで去年申し込んだワインの頒布会、今年は考え中なんだとK子ちゃんに言う。 理由は、どうも赤がパシッとした手応えがない。ぼくはどちらかというとボルドーのメドックなんだって打ち明けると、じゃあって応えてきた話がこうです。 「自前で飲むならラベルの汚れなんか気にならないと思うから、日本で買うと¥8,000クラスのそのボルドーメドックが2本あるんだけど・・¥3,000でどう?」「いいよそれ、買う買う」と言って、今もらったグッズ代、¥6,000はそのまま返す・(もちろんこの¥6,000はふれんずの口座に入って、ぼくはちゃんとワイン代¥6,000を払うことになるんだけど・・) といういきさつで翌日の朝、K子ちゃんが約束通り2本届けてくれました。 それがこれ!(楽天より) ![]() 安い赤は、酸味が先に出てくるけど、このダルマイヤックは違うね。奥ゆかしいね、でもドスンとした手応え、そこが歴史の重みなのかな。 ![]() 楽天でこの価格だから、普通にK子ちゃんが言うように¥8,000はしそうだ。 フランスなら5分の1くらいでしょ、それでも10ユーロは超えていることになる。これはラッキーでしたね。 格安で分けていただいて、K子ちゃんありがとう! ▲
by take2zeronine
| 2013-11-22 20:01
| ●eベクトル/現在位置はどこ?
2013年 11月 21日
とにかくまとまらないというのが、岩見沢の街の再開発だ。中心市街地は虫食い状態、駐車場や空き地で、市街地とはほど遠い。いっそのことこんなにスカスカの街なら、建物を解体したら見合った本数の木(市が提供する)を植えることを条例で義務付けして、(建ぺい率15〜20%くらい)キノコも育つような森にしてしまえばいいんだ。
駅前広場も森にしようとしていたんだし、森の中にお米屋さんや豆腐屋さん、青果店、お蕎麦屋さん、カフェ、焼き肉屋さん、はたまたクリニックがあるなんて素敵じゃないか。というアイディアを岩見沢駅舎コンペの時にイメージしていたりしたんだけど・・ 土地も建物もその借り主も又貸しがあったりして、関係者の利害の一致を見るのが困難だというのが、よくいわれるけど岩見沢の一般的事情らしい。一般的事情なら、そこで行政がリーダーシップを発揮してなんとか打開策を探っていくというのが、これまた一般的話だけど、どうやら岩見沢市にはその力量を持ち合わせている人間がいなかったということになる。(市長さん御免なさい) それがやっと、一市民目線で動き出していることがわかりだした。 なんたって駅前の角の、左右の建物が解体されだしたんだもの。 駅を背にして立って右手の、ひとブロックを占める3階建ての駅前ビルが、アーケードが外されて解体準備に入ったからだ。 ここらでいつも車目線でしか見てない通りを、ちゃんと歩いて体感してみようとトライした。 ![]() 突き当たり青い屋根がはんこ屋さん ![]() 空知信金本店の近代的ビルと歴史を刻んできた古い店舗併用建物、こちらの方がデザイン性があるね、かっこいい! ![]() 駅前ビル本体は3階建てRC造、ぼこぼこ立つ煙突が青空に映えて美しい。裏側にはこんな木造の平屋がくっついていて、屋根は雪害で崩壊寸前・・ ![]() ![]() この店も3月末でビルの解体とともに閉店になる、寂しいね・・ 後継者がいないらしいから、誰かあと引き取ってやってくれないかなあ ![]() ![]() 右手角地の解体が始まった 左手駅前ビルのアーケードは撤去されて、解体準備が進む ![]() ![]() ![]() 高校時代(場所は変わったけど)お世話になったムラタレコードもここ ![]() ![]() ![]() あんまり期待もしないけど、新店舗の工事が進む さっき裏から抜けてきた西角のこのはんこ屋さん、裏もいいと思ったけどこの正面もまたいいね。アーケードも残して頑張っていて、横の新しい店より圧倒的に存在感充分で、ちょっと手を加えたら、かなりいけるんじゃないかな。 このまま残しておきたいくらい・・・ ![]() 遠くにメタセコイヤが見える(ノセ遺産) 前々市長が植えたものだけど、やっぱり先見の明があったんだね ![]() ![]() こんな昭和の時代を残した街路を、屋台とともにどこかに再現しても受けるんじゃないかな つまり新しくなった駅前通りから怪しげな小路を入っていくと、こんな雰囲気で新しいけど古いというコンセプトの店や屋台が、軒を連ねるみたいな ![]() この小路を駅前通りから演出してみてもいいんじゃないかな < 完了まで、何回かレポートします > ▲
by take2zeronine
| 2013-11-21 08:48
| ●e旅・街巡り/都市・建築
2013年 11月 20日
2008年の健康診断から、胃カメラを飲むと毎回指摘されている症状が、「逆流性食道炎」だ。今年も指摘されたから、5年間続いていることになる。
また緑内障の疑いアリは、1998年からでこちらは15年間ず〜っと眼底検査の所見欄に記入されてだして、今では検査はパスで所見の欄は治療中になっている。(こちらの話はまた機会をあらためて・・) 55才を過ぎたあたりから一挙に老化が顕在化しだして、そのひとつに逆流性食道炎もあるわけです。 つまり老化で胃の入り口が緩んできていて、たとえば食事後(特に晩ご飯)横になって寝てしまうと、緩んだ胃の入り口から食物とともに胃酸が逆流してきて、その強い酸性で食道の出口あたりが爛れるというもの。確かに胃カメラを飲み始めると最初に医者発する言葉が、逆流性食道炎となる。 老化の進行は生物の悲しき宿命で、限りなく遅らせることは出来るかも知れないけど、それを止めることはできない。 まずその対策として、寝る直前の食事はやめる。よく空腹では眠れないと云うけど、これには慣れてたとえ何か食べたいなあと感じている時でも、時間になれば眠たくなるようになった。 その効果もあってか、自覚症状は改善されたかにみえたけど、やはりカメラに写る画像は、白く爛れたものだった。(ここで胃カメラの画像があるといいけど、次回もらっておこう) 5年目の今年になると、酒を飲んだ夜中にゲボッとなって気がつくと、胃酸にまみれた内容物がのど元まできているということがあったりする。 いよいよ、これはまずいなと思い出して、機会あるごとに人に話していると、先日面白い話を聞いた。 「男という動物は早く結果を求めすぎて、だから食べ急ぐしヤリ急ぐ。男に逆流性食道炎が多いのは、早食いが一番の原因です。」とさる女医さんが言っていたという。 確かにぼくは早食いだ。 そもそも口の中で一品だけを処理してしまうというのが嫌いだ。食べた気がしない。 ご飯を口に入れると入れた後から別のものを入れて、口の中でいろんな味が混在いていかないと、おいしいと思えないのだ。チェーンイーティングとでも云おうか、次から次へと箸を休めることなく、口の中に違ったものを放り込んでいかないと気が済まないのだ。しかも噛む時間(回数)が短いから、一挙に食事の時間が終わってしまう。結果胃の入り口あたりが渋滞していて、しっかりと胃袋に中に納まっていない状態なのだ。だからこそ入り口までいっぱい感があって、食欲が満たされた満足感があるのだろうけど・・ 高校時代は弁当持参だった。みんなで食べていると、よく一品ずつ丁寧に片付けている奴がいて、ぼくはその食べ方がおいしい食べ方と思えず、ちょっと信じられなかった。だからいまだにご飯の上にいろんなものを載せて、ご飯ごと口の中に入れたごちゃ混ぜになった味わいが好きなのだ。当然丼物も好きです。 それをゆっくり時間をかけて食べろとか何回以上噛めとかいわれて、頭の中でカウントして食べることになる。食事中は常時数を数えながら・・・もちろん箸を休めるという状態はないわけです。そうして早く胃の中に詰め込んでしまわないと、どうしても満足感が得られない。一緒に食べている人と比べてみても、かなりゆっくり食べたつもりでも、まだ早かったりする。 いけないイケナイ、食べ方の思い切った改善の必要に迫られている。 ここはゆったりとした食事の習慣化を目指して、人間の三大本能のひとつである食欲の満足度を落として、エネルギー補給の方へ比重を移してみよう。 さてその具体的方策は? ( 次回へ ) ▲
by take2zeronine
| 2013-11-20 08:13
| ●eベクトル/現在位置はどこ?
2013年 11月 18日
▲
by take2zeronine
| 2013-11-18 13:53
| ●日日庵
2013年 11月 16日
物心がついてきてた頃から小学校くらいまでは、家業は木工場だった。
工場も含め丸太の置いてある土場や製材された材料置き場やらが広いエリアに展開していて、遊び場には苦労しなかった。たいてい遊びの待ち合わせは、ぼくんちだった。 その広いエリアならどこに隠れてもOKという『泥棒ごっこ』という遊びは、丸1日かけても完結しない場合すらあった。ゴルフじゃないけどまさに日没順延。 小さい頃から「賃挽き、ちんびき・・」って言葉は、よく耳にしていた。 昔は切った丸太の1〜2本を個人で持ち込んでくる人が、けっこういたんだと思う。「あんたの爺さんに賃挽きしてもらった」という古くからの年配の知人に、あとになって(Uターン後)よくいわれたから・・ 材料の貴重な時代、敷地の木を切ったのか自分の山の木を切ってきたのか、それを製材してもらい自ら加工して使うことが、一般的なことだったんだと思う。 そして時代は変わって、賃挽きしてもらう立場に逆転する。 きっかけはトヨエモンの間伐、賃挽き、ユーザーへ提供・・ 今回の原木は購入した丸太で、7.5mのエゾマツ、38〜44センチの末口(細い方)径とかなり太い上物。 ちょうど設計中の某木造中規模物件(2014年着工)で、4間スパンの梁材が必要だったこともあり、これを製材して使ってみようと思い立つ。 断面の大きな集成材から最終形は20センチ角の合梁なる。 < 白老篇 > ![]() 土場の丸太、昔のぼくんちの比較にならない広さ 初めて尋ねるとどこいけばいいのか、全く分からない ![]() そういえばぼくの小さい頃の工場にもトロッコがあった。そこで遊んでは絶対いけないとよくいわれていた。 ![]() さすがにこのボリュームは迫力がある ![]() ![]() ![]() 7〜8人の体制で、人がメインで効率のいい動きをしていた ![]() ![]() 台車で人力 ![]() < 幾春別篇 > ![]() 白老ではなぜか挽けないといわれた ただしここで挽ける長さの限界は6メートル ![]() これが白老との違い・・ ![]() 半年だけど自然乾燥後、ここから直径24センチ程の円柱に加工して仕上げる 結果報告は2014年秋までお待ち下さい。 ▲
by take2zeronine
| 2013-11-16 09:33
| ●トヨエモン/どこから来たのか
2013年 11月 13日
![]() 高校卒業まで三笠の萱野で育った。日本で3番目の鉄道旧国鉄の幾春別線(敷設当時は幌内線)の駅でいえば、岩見沢から最初の駅だった。その駅から走って3分(高校通学の時は、ダッシュで3分あればギリギリ間に合うと計算していた)のところで、木工場(後に建設業、いまでも)が家業の家だった。 そこから小学校も中学校もほぼ同じ距離で、小学校は北に萱野中学校は南に10分ほど歩いて通学していた。 幾春別線の駅は、萱野、三笠、唐松、弥生、幾春別(終点)三笠から幌内駅へ支線の6駅だった。 萱野駅は農村地帯、三笠駅は行政機関と商業地域でそれ以外が炭鉱の駅だった。ぼくはどちらかというと奥に下って炭鉱町の方へ行くことより、圧倒的に岩見沢や札幌方面に出ていくことの方が多く、炭鉱というものがどうゆうものか、行ったこともないのでほとんど実態としては知らなかった。 高校の冬は汽車通で(夏は自転車)川俣とも汽車の中でよく顔を合わせてはいたけど、一言も話したことはなかった。萱野から通うのはぼくひとりだから、当然通学仲間が出来て、一緒の席に座る気心の知れた連中が出来てくるのだけど、その中に川俣はいなかった。気になる存在で、よく知ってはいたけどね。 ぼくの通っていた時の萱中は、1クラスで26人だった。 きのう三笠プロジェクトを見学に来てくれた3年生は、8名。北海道新聞の記事を見て3年生の担任の先生から、見学希望という電話が入った。 それで10時45分から11時半まで45分間、現代美術のレクチャーすることになった。 2012年岩東90周年でクリアファイルに挟んで配布した川俣正の紹介文を教材にしながら、彼が世界でも先頭を走っている現代美術家だということを、まず知ってもらった。そして君たちの進路の選択肢のひとつにも、それがあってもいいということも、現物に触れながら伝えておいたけど、中学3年生くらいにもなると喋っていても手応えはあるからいいね。 ステージ側の裏に回って、再びふれんず川を下って地下の炭鉱町夜景をみて、最後に右岸2Fギャラリーから俯瞰する。その場所場所で説明と質問を受けて、最後に川の入り口で記念撮影し、缶バッジを配って終了。 人数も雰囲気が伝わりやすくてちょうど良かった。 卒業して45年も経つのに、母校だというだけで不思議と親近感も沸くし、力もこもる。 これで少しは恩返しが出来たかなと思った。 ▲
by take2zeronine
| 2013-11-13 10:37
| ●eベクトル/現在位置はどこ?
2013年 11月 12日
![]() ![]() 日曜日までは、晩秋の枯れた色の世界。今キーボードから顔あげると、7ヶ月ほどの前の白い世界に早変わりしている。しかもそれを違和感なく、素直に受け入れている気分のぼくがいる。 4月から10月までのこの7ヶ月は、キラキラきらめく春の陽射しも照りつける暑い夏も紅葉の秋も、まるでなかったかのようだ。これが北海道なんだ。 朝起きて朝刊を読みながら、またストーブに薪を焚く日課が始まった、全く違和感なく・・ つまり半年近く雪の生活だと、その大変さのすり込まれ方が尋常じゃないってことに気がつく。 ここにきて新国立競技場コンペの、ぼくのブログへのアクセスが、上位を占める日が多い。おそらく槇文彦が規模見直しの提言をしたことによる反応だろう。 ぼくも書いたけど、やはり誰もが感じていたことなんだろう。 成熟都市東京にあの流線型ヘルメットのデザインは、あの大きさではミスマッチだというのハッキリしている。安藤忠雄審査委員長のもとでの審査が、どうだったんだろうね。見識が問われるね。 前回の東京オリンピック誘致で、石原慎太郎と組んで施設提案をし出したときも、首を傾げてしまったけど、どうしても建築はその実現に向けて体制とか権力側に組みしていったときに、変わり始める。どうしようもないことか・・ ぼくが選ぶとしたら、木質系でえぐれたりしていて、環境に馴染んでいて目立たず透けている、この梓設計案だったんだけど ▲
by take2zeronine
| 2013-11-12 06:50
| ●eベクトル/現在位置はどこ?
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