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2015年 01月 23日
年末年始にかけて、本を立て続けに買っている。
本屋さんだったり、そこでパラパラ立ち読みして、中古本で安かったらネットで買ったり・・そのうちキンドルも、持ち主の話がみな肯定的なので、買おうかなと思い始めている。 フィクションは少なくて、建築関係が多かったりしている。その中で久しぶりに磯崎新。 彼の文体は面倒くさくて読みづらいから、安易に買わないようにしていたんだけど、それこそ紀伊國屋書店で確認してから、ネットで新刊を購入した。 『挽歌集』20世紀、友人たち、建築への追悼、と帯にある。目次で数えてみると、53人の友人知人に宛てた追悼文集だ。 その中に神代雄一郎もいる。ぼくが学生の時の建築学科長だ。 建築史の授業で「九間」に言及された先生の話は、いまだに鮮明に記憶に残っている。その授業からすっかりぼくは彼にシンパシーを抱くようになってしまった。 新宿西口副都心の再開発で、高層ビルが建ち始めているときでもあった。 そのことに批判的な彼の文章を、偶然建築雑誌で目にしたりした。心情はとても同感できるものだった。なにしろ神代シンパだったからね。その後圧倒的反論を浴びてしまうことになるのだけど、あの穏やかな先生は沈黙してしまう。 建築の授業の中に、なぜか裸婦をデッサンする時間があった。 学科長だから全く関係ないわけではないけど、彼もぼくたち学生に混じって一緒にデッサンに参加していた。 たまたま隣同士になってお互いの出来を覗き見しながら、その時間を共有した。ぼくのデッサンを褒めてくれたせいもあるけど、神代シンパはさらに強固になっていた。 三日三晩72時間一睡もせずに、北海寮の図書室にS木とふたり閉じこもって仕上げた。 学科長の先生の講評は、「おもしろいね」という一言だった。けっこうその一言をいいように解釈して、気をよくしていた。 そんなわずかな接点が、ぼくと神代雄一郎との、学生と先生との関係だった。挽歌集の中でも、もちろん九間が出てくる。九間論だ。 SD選書『間(ま)・日本建築の意匠』もネット買い、この中で彼は九間論を展開しているのだ。 日本建築は柱を同じピッチで建てながら、その中に空間(部屋)を造っていく。 こんなイメージだ。 この場合の「間」はあくまで「ま」と読む。「けん」ではない。「けん」はこの後になってできる長さの単位、6尺の長さに落ち着く。 「ま」はあくまで広さの単位で、この概念が発生した時点では、柱の間隔は適当なもので、決まったものではなかった。 その地方地方あるいは建物個別のもので、決まっていなかった。単に柱に囲まれた「ま」であった。その流れは京間であったり関東間であったりの今の流れになり、タタミの寸法が家ごと部屋ごとでまちまちだったり、帖数を表す部屋の広さが同じ6帖とかでも正確な広さが異なっていたりすることにつながってきているともいえる。 九間はその「ま」が九つ分、柱の間隔が1間(けん/長さ)=6尺(1818ミリ)の時、九坪という現在使われている広さになる。この九間は、建築史上、寺社仏閣武家民家など様々なところに頻繁に登場してくる。それだけ人間的広さの空間だ。 ぼくも実際にその広さに身を置いてみて、そう同感できる。ちょうどいいのだ。 ps 九間を検索していたら、こんなサイトが出てきて、神代雄一郎を語っている。
by take2zeronine
| 2015-01-23 11:45
| ●いえのえほん/その覚書
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