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2010年 12月 12日
不思議な邂逅
先日(12月10日の金曜日)、おもしろい出会いがあった。 留萌のすぐ北に隣接して、小平町がある。そこで「木を使った家づくり」というセミナーがあった。ぼくはそのセミナーの講師で呼ばれていたのだ。 講演は、午後1時30分からで、雪のため高速道路の不通をおそれて、早めに岩見沢を出ると天気はまあまあ順調で、12時前に到着してしまった。 昼飯はどこにしようか?と、今回のセミナーにも絡んでいる、地元のY建設の社長に、どこかいいところないかい、とTELすると『ゆったり館』がいいという。行ってみるとそこは小平町直営の温泉施設で、そこにレストランがある。『こぶしの湯あつま』も紹介したけれど、ここでも町直営でやはり行政が絡んでいる分、元気がいいのかもしれない。 入り口でメニューを見ているとばったり、この度お世話になる振興局のSさん一同に出会う。 「あれっ!」「やあやあ〜」と一緒に席に着く。入り口でも迷っていたように、実際いろいろな特産メニューがあっておもしろい。悩んだ末結局、特産に走らず「生姜焼き定食」にした。美味かった。食後のコーヒーをSさんがご馳走してくれた。 そんなゆっくりした昼食後、会場の文化交流センターに入った。入って式次第をみると、あいさつのところに、留萌振興局、副局長M・Jとある。あれ〜、見覚えのある名前だ。そうだ、あのJだ。担当のSさんに聞くと、そうですよ、あえて知らせないでおきました、とのこと。 セミナーが始まった。小平町代表のあいさつの後、副局長のあいさつだ。 「・・・最後にこれは余談ですが、今日の講師の武部さんとは、北海寮という学生寮の同じ部屋の2段ベットの上下で寝た仲で・・・」 そうだよな、今から30数年前、先輩後輩ではあったけど我々は確か2年間、ルームメートだったんだ。 そこは、3年間は2人部屋、4年目にして個室になるという規則で、ぼくの2、3年目の相棒は、Jだった。 村上春樹の『ノルウェーの森』に書かれているように、Jは突撃隊みたいな潔癖症でもなかったし、中庭には日の丸も揚がらなかったけど、寮生活でぼくも洗濯が好きになり、天気のいい日は屋上に干した。 相部屋は相性もあって難しい面もあるけど、逆に一つ屋根の下の集団生活は、個性も磨かれ、そこから受ける刺激も大きいので、向き不向きはあるけど、視野も人間性も広がる。 2年間も、あの狭くて汚い同じ部屋に、よく住めたと思う。どういういきさつから、彼と相部屋になったか忘れたけど、後輩の彼が、けっこう遠慮していたのかもしれないし、ぼくもそれに安易にのっているつもりはなかった。そのあたりの微妙な大人の感覚は、お互い感じていたのではないか。だから1年住んでまた再び、相部屋のパートナーを自由に決めていいときも、どちらともなくまた同じくこのままでいこう、ということになった。 「私みたいな文系の暇な学生と違って、武部さんは建築学科で、課題に追われて図書室にこもっていることが多かった。」とあいさつで彼が言及したように、寮長に許可をもらってぼくは、広くて静かで自由になる図書室に、ドラフターを持ち込んで、よく課題の制作をやっていた。 また寮以外の交友もそれなりにあって、あまり部屋にはいなかった。だから、我々の部屋の占有率は、圧倒的に彼のほうが多かったはずだ。 そうやって、ぼくたちはいい関係で2年間を過ごした。そんなぼくの写真が載ったポスターを、突然振興局の喫煙所で見た彼は、思わず声を上げてのけぞったという。そしてセミナーの後援をした振興局の代表として、ぜひひとこと述べに来たらしい。 行政側としてのポイントを押さえた話の後に、一転、ぼくとの関係と印象をくだけた調子で語った彼に、講演前のぼくの気分も和んで、うれしかった。 久しぶりに出会いを演出してくれた気まぐれな運命(大げさかな)に、感謝したい。 姿かたちは変われど、ぼくの中でのイメージは全く変わっていなかった。 50名くらいを相手に、70枚以上の写真を使って、トヨエモンを中心にいろいろな事例を1時間半話した。こんなに長時間話したのは、初めてだった。 当時寮の写真部だったぼくの愛機「ニコンF2」で撮影、寮の暗室で現像もした。 2段ベット側を撮ったもう1枚とあわせて、ちゃんと保管されていた。 こんなかたちで、まさか世間に晒してみる気になるとは思わなかった。
by take2zeronine
| 2010-12-12 12:07
| ●トヨエモン/どこから来たのか
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