最新の記事
以前の記事
2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 more... カテゴリ
全体 ●日日庵 ●新住協札幌 ●eベクトル/現在位置はどこ? ●e旅・街巡り/都市・建築 ●いえのえほん/その覚書 ●エンターティメント/感動感激 ●医学・医療/健康第一 ●トヨエモン/どこから来たのか ●しごと/プロであること 最新のコメント
最新のトラックバック
タグ
三笠ふれんず
日日庵
いえのえほん
スリランカ
トルコ紀行
島紀行
TKBストリート
三笠プロジェクト
北海道新聞
大人の工作
川俣正
そば農園
新住協
建築家シリーズ
結ホール
いえのえほん施工篇
Nubis
九間/ここのま
鎌田紀彦
岩見沢プロジェクト
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2010年 07月 07日
近代建築の巨匠ミース/God is in the details(神は細部に宿る)
いま、1冊の本が手元にある。『真理を求めて・ミース・ファンデルローエ』日本人の彼の弟子、高山正實(1933生)が書いたもので、ぼくにとっては、心を洗われる著作だ。特に「はじめに」とある前書きにある、IIT(イリノイ工科大学)時代に彼の元で学んでいた時の逸話は、ミースの人となりが良く表現されていて、秀逸だ。 「う~ん!これには参った。そうだ、それまでの私は、ただエサをもらって飼い主を喜ばせるペットのようなものだった。ミースは、若い私たちにまず人生の心構えを教えたのだ。自らを探し、自ら求めて道を拓いていく、それはミース自身の生き方であった。」(抜粋) 「シャルトルでも桂離宮でも、私たちはその美しい形を見て感動する。しかしそこに見る形は、決してひとりの天才がある日突然思いついた形ではない。それは数世紀にわたるコンストラクションの試行錯誤の中から生まれ出てきた、それぞれの文明特有の形なのだ。それこそがミースが求めた「形」であった。それをつくった人々の理想と叡智とエネルギーがそこに凝縮されているからこそ、人は「建築」に歴史の重みを感じるのではないか。ミースがつくろうとしたのは、現代ののシャルトルであり現代の桂離宮であった。」(抜粋) ミースといえば、『Less is More』があまりのも有名だ。がしかし、ぼくは『God is in the details』の方が彼をよく物語っているような気がする。 ナチスドイツに追われてアメリカに渡り、スチールという構造素材に出会って、納まりの細部にまで渡って極めていくその姿勢は、真に哲学的だ。そこには新しいのにすでに古典になっている姿がある。 ライト、コルビジェと3人で、近代建築の3大巨匠とよくいわれるけれど、初めからぼくはミース贔屓だった。彼の建築を体験したことはなく、唯一『バルセロナチェア』に座ったことがあるのみ。他のふたりの建築はそれなりに体験していて、真に建築らしい建築なのはよくわかったし、年を重ねるごとにその包み込まれるやさしさにも、共感を覚えていた。でもなぜか、再びミースに戻ってきたのだ。 たぶん、よくある哲学的建築なのではなく、建築的哲学だからだと思う。 施主と訴訟にまでなったのが有名な『ファンスワース邸』、構造は1×3の奇数の柱割り。シンメトリーに完結した美しさ。1スパン22フィートが3スパン、フィートは尺とほぼ同じだから、22尺の3スパン。短辺は、約28フィートだから、28尺。ちなみに吉村順三の『軽井沢の家』は、24尺(4間)の正方形。そのうち屋内は、2.5スパン分、22×28×2.5で1坪は36平方尺だから、約43坪(280枚)になる。残り屋外玄関ポーチが1スパン分で、22×28で約17坪(112枚)、そしてポーチ手前の屋根のないテラスが22×22.66×2.5で約35坪(220枚)、こんな構成が全ての床の仕上げになっている2フィート×2フィート9インチ(約60×84センチ)のトラバーチンで割り付けられている。それはまさしく、タタミのモジュールで日本間が割り付けられているのと同じ感覚だ。 1.6mほど持ち上げられた本体の短辺が14枚(トラバーチン)で、手前の1段低いテラスの短辺がなぜ11枚なのかは、あえて問うまい。それが真実なのだから。 彼の追究する真理の建築は、やがて哲学にまで昇華し、真実になる。情緒的じゃない、抑制のきいた表現( Less is More)の裏にかくれた情緒。まるでマイルスの、ミュートの効いたトランペットのように。 グッとくる・・・
by take2zeronine
| 2010-07-07 21:15
| ●いえのえほん/その覚書
|
ファン申請 |
||