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2010年 03月 07日
覚書9・家並み・町並み / 伊勢へ七度(ナナタビ)熊野へ三度(サンド)
■その1 ぼくの最初のお伊勢参りは、確か1977年だったと思う。 ドイツのバウハウスに感化されて、桑沢洋子がデザイン研究所を立ち上げた時、建築住宅デザイン部門の担当として、招かれたのが建築家清家清であった。 その桑沢での教え子に、ぼくの担任であった市瀬(昌昭)先生がいた。(のちに、桑沢デザイン研究所所長) ある時先生から声がかかる。 「武部、ちょっと数人アルバイトを集められないか。」 そうやって人選を任されたぼくは、全く勝手にぼくの基準で、これはと思う仲間たちに声をかけて数人集めた。中には、1週間くらい泊まりがけということに難色を示す、東京生まれのヤツもいたけど、おおむねみんなすぐにOKした。 仕事の中身は何だったかというと、デザインサーベイだった。 伊勢に泊まり込みながら、あの「赤福」のある参道「お祓い街通り」に面する建物のファサードを実測するというものだった。もちろん「赤福」自体は、内部まで詳細に計って記録した。 ワゴン車のルーフキャリアーの上に乗っかって、700メートルくらいある「お祓い街通り」を、何回も行き来しながら、写真を撮り実測しスケッチし、時にはルーフキャリアーの上に腹這いになり、通りをぶっ飛ばしてスーパーマンごっこをしたりして遊んだ。 現在の通りからは考えられないけど、その時の「お祓い街通り」は見事に閑散としていた。 だから、その打開策を求めて、清家さんのところに依頼が来たということらしい。 そんなことはお構いなく、ぼくたちは慣れてくるにしたがって、まるでわが町のごとく好きなように歩きまっていて、商店の人たちとも顔見知りなったりしていた。 ある朝は、赤福社長がオースチンに乗って、ちょうど車庫から出てくるところに出くわしたりした。 当時、清家さんは「デザインシステム」という設計事務所を実質的に仕切っていた。 その時の実測メンバーだった友人S・Tは、これがきっかけで入所したという経緯がある。 その「デザインシステム」からトップのひとりSさんが、われわれがちゃんと仕事をしているかの様子見も兼ねて、陣中見舞いにきた。清家さんも一緒に来たと思う。 清家さんはぼくたちに「日本は雨が多い、だから雨漏りも当然することになる。」という含蓄のある言葉を残して、早々に引き上げていったけど、Sさんは残ってぼくたちと一緒に東京へ帰ることになったと思う。そのSさんに連れられて、ぼくたちはその夜御馳走になった。 奥から店主とおぼしき人が、持ってきた肉を説明した。 「これは東京でも簡単には手に入らない、極上品です。」と言って、生のまま調理されたものがテーブルに出された。 たいした味覚体験があるわけでもない、食生活の貧しいぼくたち若造にでも、その肉を食したとき、明らかに今まで体験したことのない美味しさが、口の中で広がるのがわかった。 次の日は帰りの道中、昼ご飯は浜名湖に寄った。Sさんは昨日と同じように、浜名湖で一番ウナギの美味しい店を聞き出し、その店でまた一番美味そうなメニューを選んで御馳走してくれた。 世の中には、まだ知らない美味しいものがたくさんあるのだということを、身をもって知らされた。 日本経済は、まだまだ高度成長を続けている最中の景気のいい時代、「デザインシステム」もまた景気が良かったんだと思う。 そして、食べ物で受けた恩は、いつまでも消えることなく残っている。 そんなデザインサーベイをした成果を、何かの雑誌に発表する図面描きを帰京後手伝い、そこまでの記憶を残して伊勢赤福のことは忘れていた。 それが、何年かして再開発の事例として発表されていたりしたのは、メディアでは見て知っていた。 そして20年は経過、再訪する機会が訪れる。 当時とは比較にならない賑やかさが、通りを行き来する人たちによって出現していた。 デザインサーベイした以前の店のファサードも統一感が見られ、全体が醸し出す雰囲気がとてもいいのだ。たぶんそれは江戸時代の賑わいにも共通したもののような気がした。 コンセプトにそぐわないと思った新しい鉄筋コンクリートの社屋を木造に建て替えたという、その結果出来た「おかげ横町」は、赤福の心意気が見事に結集して、成功していると思った。 ひとは、いつのどんな時代にも、心動かされるものは、同じなのだと思う。それは本能的で根元的なものだ。 その後、立て続けに訪れる機会があった。いつも老若男女で賑わっていた。 数えてみると、お伊勢に5回、熊野へ1回行ったことになっていた。
by take2zeronine
| 2010-03-07 12:14
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