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2009年 10月 23日
(前回のつづき・その3)
再び記憶は戻り、小学5年生の時の1964年、東京オリンピックがあった。 学校でも授業中に、今日はオリンピック観戦だ、といって、みんなでよくテレビで応援した。きっとS先生も見たかったんだと思う。それからスポーツ観戦の魅力に取り付かれた。 開催中の2週間は、どの競技もすばらしく、見ていて飽きなかったし、おもしろくてあっという間に過ぎた。中でも、いまだに記憶が鮮明なのが、陸上走り高跳びの革命児フォズベリー(USA)の背面跳びだった。いろいろ言われていたけれど、よくぞやったものだ。 でもなんたって圧巻だったのは、走り幅跳びのビーモン(USA)だ。とにかくスローで見たときの彼の跳躍中の空中位置が、カメラのアングルもあったんだろうけど、脇に立っている競技役員のはるか上を跳んでいるという映像だった。9M近い跳躍距離もさることながら、あれには、本当にたまげてのを覚えている。 今思うと、当時の陸上にはお金がほとんどかからない、ということに気が付く。それはまさに陸上での、ほとんど肉体の能力だけの勝負だからだ。 古代オリンピックは、素っ裸だったというけど、ランニングシャツとパンツと運動靴、必要なのはこれだけ。だからアメリカの黒人選手もその能力だけで、のし上がってこれるのだ。あとは、いかにその能力を発掘するシステムを作っていくかだけだ。 だからメキシコ以降、アメリカ黒人の貧困からか、虐げられた境遇を訴える場として、活躍した選手がその表彰台を、たびたび利用するようになったのも、この大会からだった。S先生もお金なんてほとんどかけることなく、陸上部を創ったのだと思う。それは田舎の小学校のスポーツ少年の心を目覚めさせるには、格好のクラブだったし、事実僕は、そこから目覚めた。 そうやって、ダッシュし続けたにもかかわらず、番組終了と朝礼の始業の時間が同時刻という事実は変えようもなく、中学3年間担任だったダジャレ好きの体育のT先生は、苦笑いを浮かべながら黙認してくれ、ほぼ毎日2週間、僕は遅刻し続けた。 60年代、それが小中学生の多感な時代の、陸上というスポーツと僕との関わりだったといっていい。 (陸上少年の挫折・完) 興奮した!その迫力たるや、本当に人間ではなく、まるで草原を疾走する野生動物の姿だった。そんな状況の中にいて、シャッターをきるなんてことは、全く念頭になく、ただただこの目が釘付けになっていた。写真は、予選の記録発表 100Mで勝ったので、200Mはスタートでも余裕だった。 大阪大会では、ある競技がスタートするとき、戦国時代のあの合戦の合図、ホラ貝のあの音が鳴り響く。 それがなんとも、気分を盛り上げてくれて、僕は好きだった。 ゲイは、スタート直前まで、持ち込んだペットボトルで、いつものように水分を補給する。それがスタート前の彼の気分を落ち着かせるスタイルだった。 結局彼は、2冠を達成し圧倒的強さを見せた。後ろにあの北京五輪、ベルリン世界陸上のボルトが見える。 表彰台のタイソン・ゲイ、緊張から解かれて、本当に嬉しそうだった。あの迫力を間近に体験した僕も、嬉しかった。 5日間の世界陸上は、大満足であった。 機会があれば、今度はぜひ、あのウサイン・ボルトを体験したいものだ。 (陸上少年の挫折・完)
by take2zeronine
| 2009-10-23 16:11
| ●トヨエモン/どこから来たのか
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