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2009年 07月 03日
本家のお墓には、曾おじいさんの「豊右衛門」の名前が刻まれている。
その息子が北海道に入植してきた「豊次郎」で、さらにその息子が僕の父の「豊種」です。親爺は、1983年に亡くなり、その親爺の植えたカラマツ林を、僕が受け継いで管理しています。 そのカラマツ林は、わが家から車で5分も走ると着いてしまう、気軽に行ける場所にある。 ![]() 親爺が植林したのが1959年で僕は6才、カラマツは今年でもう50年生にもなる。受け継いですぐの頃は何の知識もなく、全く興味もなく、森林組合にすすめられるがままに間伐した。それが1993年で、ご多分に漏れず、補助金が7割もついていたにも関わらず、確か30万円くらい追加持ち出しした記憶がある。 そもそも、森林は3世代100年単位のスパンで付き合っていかなければいけないもので、投資に関しても、自分の代でそれなりの成果を求めてもだめなのだ、と気づかされたものでした。 そこで学んだことは、100年後当然自分は生きているわけもなく、長い視点に立ってゆっくりと木々の成長を見守り、その過程を楽しんでいければそれでいいのでなないか、というものでした。それで、2004年の2回目の間伐には、自分なりにコンセプトを持って臨んでみよう思ったのです。内容は、こんな感じのものです。 □行政の支援機関研究機関から、おおいに指導を仰ぐ。 □せっかく切る丸太は、自分のセンスで選ぶ。 □木こりには大工も加わり、その大工の見立てで長さや製材寸法を決めていく。 □歩留まりは、最大限良くするような用途で使う。 ![]() その結果、当時45年生にもかかわらず成長が悪く小径木のものが多かったので、外壁材を想定してほとんどが皮面付きのままで30ミリの厚さの板に製材しておきました。成長が遅いということは、材としてのヴォリュームが当然小さいわけで、材種で決まる材積単価から考えると、市場価格ではとても割に合いません。 ただ、そのかわりといっては当然なんですが、木目がつんでいて美しくなおかつかたさもあり、仕上げ材としての良さを十分生かせそうな雰囲気でした。そうして、天然乾燥に3年くらい寝かせて熟成させ、使用してみたわけです。つまり付加価値をいっぱいつけて、その材の良さをアピールして少ない材積を補うような単価まで上げていったのです。 まず、倉庫からショールーム兼ホールへ改修した外壁に実験的に使用し、その風合いを見てもらって、次は林業関係の仕事をしている人の住宅に、さらには店舗の外装にと・・。実際使用してみると、耐候性の良さもさることながら、木の素材としての美しさも強調されて、スイスのピーター・ズントーにも負けないような雰囲気です。 ![]() そもそも、スイスに視察に行ったときに、木材のスイス的使い方を教えてもらったのが、この発想の原点だったから、似てくるのはあたりまえかもしれません。 確かに、その気候風土にマッチした風景というのは、その土地の木を知りつくし、それに見合った使われ方をされてこそだということを実感させられたのでした。 ということで、表題の単なる木の素材に対してネーミングするというアイディアは、パン屋で役員をしている友が、出処を個性的に物語る名前がいい、という話しから付けた名前で、親爺を跳び越えて曾じいさんまで行ったしまったんだけど、けっこう気に入っていて、使い続けております。
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by take2zeronine
| 2009-07-03 11:26
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