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2013年 11月 13日
高校卒業まで三笠の萱野で育った。日本で3番目の鉄道旧国鉄の幾春別線(敷設当時は幌内線)の駅でいえば、岩見沢から最初の駅だった。その駅から走って3分(高校通学の時は、ダッシュで3分あればギリギリ間に合うと計算していた)のところで、木工場(後に建設業、いまでも)が家業の家だった。 そこから小学校も中学校もほぼ同じ距離で、小学校は北に萱野中学校は南に10分ほど歩いて通学していた。 幾春別線の駅は、萱野、三笠、唐松、弥生、幾春別(終点)三笠から幌内駅へ支線の6駅だった。 萱野駅は農村地帯、三笠駅は行政機関と商業地域でそれ以外が炭鉱の駅だった。ぼくはどちらかというと奥に下って炭鉱町の方へ行くことより、圧倒的に岩見沢や札幌方面に出ていくことの方が多く、炭鉱というものがどうゆうものか、行ったこともないのでほとんど実態としては知らなかった。 高校の冬は汽車通で(夏は自転車)川俣とも汽車の中でよく顔を合わせてはいたけど、一言も話したことはなかった。萱野から通うのはぼくひとりだから、当然通学仲間が出来て、一緒の席に座る気心の知れた連中が出来てくるのだけど、その中に川俣はいなかった。気になる存在で、よく知ってはいたけどね。 ぼくの通っていた時の萱中は、1クラスで26人だった。 きのう三笠プロジェクトを見学に来てくれた3年生は、8名。北海道新聞の記事を見て3年生の担任の先生から、見学希望という電話が入った。 それで10時45分から11時半まで45分間、現代美術のレクチャーすることになった。 2012年岩東90周年でクリアファイルに挟んで配布した川俣正の紹介文を教材にしながら、彼が世界でも先頭を走っている現代美術家だということを、まず知ってもらった。そして君たちの進路の選択肢のひとつにも、それがあってもいいということも、現物に触れながら伝えておいたけど、中学3年生くらいにもなると喋っていても手応えはあるからいいね。 ステージ側の裏に回って、再びふれんず川を下って地下の炭鉱町夜景をみて、最後に右岸2Fギャラリーから俯瞰する。その場所場所で説明と質問を受けて、最後に川の入り口で記念撮影し、缶バッジを配って終了。 人数も雰囲気が伝わりやすくてちょうど良かった。 卒業して45年も経つのに、母校だというだけで不思議と親近感も沸くし、力もこもる。 これで少しは恩返しが出来たかなと思った。
by take2zeronine
| 2013-11-13 10:37
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